【音楽】名曲・名演セレクション その251 A Tribute to 坂本龍一 with his 14 songs

 という訳で今回は先日天に召されました坂本龍一、人呼んで「教授」に対する私なりの追悼記事です。と言っても私が語るんでなく、教授御自身の音楽に自ら語って頂こうというのがこの記事のコンセプトです。音楽のみに留まらず様々な分野への関わりのあった方ですが、今回は敢えて音楽家坂本龍一にフォーカスを絞る内容にしたいと思います。では行きますか。

 

 1978年作、ソロデビュー・アルバム “千のナイフ” の1曲目 (それ以前にコラボ名義でのフリージャズ作品の発表はありました)。このアルバムの発売が10/25でYMOことYellow Magic Orchestraの1stアルバム発売が11/25なんで、正にYMO前夜ですね。当時スタジオ・ミュージシャンとして活動していた教授が連日真夜中、日本コロムビアのスタジオに籠って制作した、教授の持つ多彩な音楽的方向性を既に感じさせる、名刺代わりの1枚としては非常に良くできた作品かと思います。私の持ってるCDブックレットから教授御自身の言葉を引用させて頂くと、「どういう音楽を作りたいのかという明確なヴィジョンというものはなかった」ものの、「当時すでにクラフトワークが好きで、ああいう音楽とぼくのルーツである現代音楽などを融合することができないかと考えていた」「レゲエ的、あるいは日本的な田植え歌のような腰が落ちているリズムに、コンピューターによる打ち込みのリズムとシンセサイザーオーケストレーションを融合させたらおもしろいものができるんじゃないかと考えていたと思う」という事です。あと私から付け加えさせて頂くと、オリエンタリズムですね。イントロのヴォコーダー音声による毛沢東の詩の朗読なんかもそうですが (この時期の教授は基本的には政治的なものから距離を置こうとしていたと思います。それでも敢えて、というところなんかが)、後のYMOの人民服などに顕著な、「西洋から見た東洋」を敢えて演じているようなギクシャクした感覚は既に萌芽しているところかと思います。因みにこのアルバムのオリジナル・ライナーノーツでは細野晴臣が自身のコンセプト「イエローマジック」と絡めた文を寄稿しています。ギターソロは親交があり後にYMOのライブやKYLYN、カクトウギセッションでも共演している渡辺香津美。パンク風のギターをオーダーしたんだけどイマイチ理解して貰えなかったとのエピソードが…確か前読んだ気がするんだけど、ソースが見つけられなかった。どうなんですかね。パンク風という意味では後のYMO “BGM” 収録のセルフカバーは最高にパンクなシンセサイザーソロが聴けます。こちらも是非。

 

 1979年作、YMOの2ndアルバム “ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー” の1曲目。教授曰く「単に売れる曲を書いてやろうと思って」作られた楽曲で、ピンク・レディーの一連の楽曲を分解・研究し再構築したもの。特にアイデアの下敷きになっているのは ‘ウォンテッド’ ではないかという意見が強いようですね (分かりやすいところで言うと「ウォンテッド!」と「TOKIO」の掛け声)。因みに ‘ウォンテッド’ はYMOでもカバーしてます。天才肌の感覚派ではなくあくまで理詰めにアプローチする教授の理論派らしさの出たヒット曲でないかと思います。この「TOKIO」というヴォコーダーの声を旗印に世界に向けて東京発の新たな音楽をアピールした訳ですが、アルバムは国内でもミリオンセールスの大ヒット、教授はソロデビューの翌年にして早くも時代の寵児となった訳です。シンセサイザーが主役の曲ですが、録音の都合上7割くらいは手弾きらしいです。特に1:16~、教授自ら「根性のBRIDGE」と呼んだ細かなパッセージの演奏は圧巻。あとこの曲は細野さんのベースが最高ですね。

 

 1980年発表のソロアルバム “B-2ユニット” の6曲目。当時のYMOの状況に嫌気が差していた教授がYMO残留の交換条件としてレコード会社に制作費用を出させた2ndソロ。印象的なアートワークはLSDの暗示とも言われています。当時の教授が傾倒していたダブの手法を全面的に使い、YMOブームへのアンチテーゼ的な意図を持って作られた先鋭的な作品…だったんですが、少年ジャンプにも広告が載りアルバムは国内だけで15万枚の大ヒットと、結果としては当時のYMO人気の凄まじさを実証するようなセールスとなりました。このアルバムを何となく聴いて人生を捻じ曲げられた現ミュージシャンも沢山いるんでしょうね。でそういうアルバムの中で一番の有名曲と思われるのがこの ‘Riot In Lagos’ です。シンプルな1コード進行、と見せかけて微分音 (普通の12平均律の間の音です。現代音楽なんかでよく使われます) のエキゾチックな響きを駆使し、Fela Kutiから影響を受けたという何とも言えない不思議なノリのビート、と一般的ポピュラー音楽とはかけ離れているんですが非常に印象に残る作品かと思います。細野さんの大のお気に入りだったのでYMOのライブでも演奏されており、またAfrika BambaataaなどHip Hopのアーティスト達にも好まれ大きな影響がありました。

 

 1981年発表、YMOの6thアルバム “テクノデリック” の6曲目。その1枚前、“BGM” の制作時は心身の不調に陥っていた教授が調子を取り戻し、活躍を見せたアルバムですね。その中でも1曲選ぶならこれかな (私は ‘京城音楽’ もとても好きなんですが、まぁ前にここで御紹介した事ありますし)。細野さんからの「John Cageプリペアド・ピアノみたいなミニマルな曲を」という発注に応えて作られた、ミニマル・ミュージック的な手法を用いたポップソング。弾いてるのがシンセサイザーでなくピアノなのは、本作制作中に得られた「生楽器でもテクノはできる」という確信の現れと言えましょう。実際、教授の鍵盤をYMOが世界に誇るリズム隊がファンキーに支え、その上でユキヒロさんが歌えば、もうそれは絶対的にYMOなんですよね。あとはユーモア感覚ですね。この時期既にスネークマンショーとのコラボ作 “増殖” もリリースされてましたし、後にテレビでダウンタウンと嬉々として共演するようなお笑い好きの要素はこの頃既に予見…流石にあそこまではっちゃけるとは予想できなかったかもしれませんが。拡声器によるパフォーマンスは新宿高校時代の学生運動において昔取った杵柄ですかね。後の音響派を先取りするようなセンスでもあります。本曲のライブ映像を観て頂ければ教授が本格的に拡声器でがなっているところを鑑賞できます。

 

 1984年、YMO散開後に発表された4thソロアルバム “音楽図鑑” の4曲目。はっきりしたコンセプトに基づいて作成するのでなく、スタジオに入って何の先入観無しに出てくるものを記録していくという制作プロセスを採用した故の、楽曲のバラエティ豊かさからのアルバムタイトル。YMO散開後、自分の進むべき道を曲を作りながら考えるという過程でもあったのでしょう。この曲はとにかく和声進行が秀逸なんですよね。即興的に弾いたとされる如何にも教授な美しい旋律に充てる和声がBach的とも印象派的とも評され、そういう曲に ‘SELF PORTRAIT’ というタイトルを付けたのは、自身の音楽的ルーツである幼少期に愛聴したBachやDebussyなどの音楽を見つめ直すという意図もあったのでないかと思います。発売当時の雑誌でこの曲に付けたコメントには「自分自身の全てを肯定したという事」と書かれていたそうです。この曲は後年ピアノ演奏によるライブテイクもリリースされているので是非そちらも聴いてみて下さい。サウンド的にはYMO散開後に弾き始めたFairlight CMIを大々的に使用。やっぱProphet-5とは音色の感じが違いますよね。ドラムで高橋幸宏が、ギターで当時隣のスタジオにいた山下達郎が参加。

 

 1988年発表、映画『ラストエンペラー』のOST、映画のエンドロールに用いられた9曲目。映画音楽は教授とTalking HeadsDavid Byrne、中国人作曲家の蘇聡の3人で分業されてます。この仕事で日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、以降映画音楽家として世界的に活躍するにあたっての代名詞的作品となったという点で教授のDiscographyにおいても1つのマイルストーンと言える作品でないかと思います。小さな頃からラジオで流れる映画音楽に親しみ、また新宿高校時代は学校をサボって映画を観ていたという映画好きの教授にとっても1つの念願だったのでないかな。元々はシンセサイザーを使って仕事するつもりで、日本から自分のシンセサイザーを持ってきて監督のBernardo Bertolucciに聴かせたところ、「演奏者の衣ずれの音はどこなんだ?」「椅子のきしむ音は?」と指摘され却下されたとの事。編曲に上野耕路と野見祐二を招いて、オーケストラ作曲の仕事を完遂しています。作曲技法的には、劇中に使用されているフレーズをエンドロールに盛り込む手法を教授が初めて取り入れた作品との事です。近代和声に東洋音階の旋律を乗せるというアプローチは『戦場のメリークリスマス』と通じるところではありますが、この『ラストエンペラー』では明らかに中国的な旋律が意識されています。芸大で小泉文夫の講義を受けて以来、民族音楽 / ワールド・ミュージックへの関心も高かった人だけに、こういう旋律を作るのも上手いんですよね。ただその一方で、当時の妻である矢野顕子から冨田勲作曲の『新日本紀行』テーマと似ている事を指摘されてもいます。まぁ…確かに似てますね。シンセサイザーを駆使したクラシック畑の日本の音楽家としては偉大なる先達ですし、また過去のインタビューで氏の作品を好んでいるとも発言してますし、影響を受けたのも当然と言えば当然ではあります。

 

 1991年作、世界戦略のため契約を結んだVirginからの2作目 “Heartbeat” の海外盤収録。教授のソロベスト “US” は現状入手が難しそうですが、David Sylvianのベスト盤なら多分まだCD買えると思います。その前年から住まいをNew Yorkに移しており、当地を中心とした世界的な音楽の流行を意識しながらの作品作りだったかと思われます。当時のハウス・ミュージックの流行に対し、「皆がハウスを聴くのは、1小節に4分音符で4つ打たれるバスドラムのビートを、心臓の鼓動 (=ハート・ビート) の様な安定したリズムと捉えた一種の胎内回帰願望である」という仮説を立てたのがアルバムのコンセプトです。後年YMOのリズム隊お2人との対談で、リズムトラックの構成にコンプレックスがある事を告白しているのですが、ハウスの4つ打ちリズムの導入も、そういったコンプレックスと立ち向かうための1つの方法論であったのでしょうね。そういったアルバムの中ではこの曲はちょっと趣が異なり、基本即興で演奏したというトラックは教授の素がより出ており、この情念がドロッと溢れ出すかのような重苦しい響きに「これぞ教授の音楽よ!」と膝を打つ古参ファンも多いんでないでしょうか。日本盤ver.のヴォーカルはArto Lindsayだったのに対し、この海外盤ver.のヴォーカルはDavid SylvianとIngrid Chavez。デビシルは言わずと知れた教授の盟友ですね。それぞれYMOとJapanにいた頃からコラボレーションを重ね、‘ZERO LANDMINE’ の作詞などここぞという時には頼む、教授にとっても篤く信頼するシンガーだったのでないかと思います。Ingrid ChavezはPrinceに見出されたシンガーですね。語り口調のラップはMadonnaの ‘Vogue’ っぽいですけど、これがこの人の元々の持ち味らしい。因みにこの共演を契機にシンガー2人は結婚しています。

 

 1995年作 “スムーチー” の1曲目。前作 “スウィート・リヴェンジ” と同じく、メロディ重視のポップ路線を目指した作品で、教授御自身によるボーカル曲が多いのが特色。当時は無理して挑戦していたが、後日自分で聴いて下手で向いていないと思ったとの談あり。教授のヴォーカル、YMOの ‘Perspective’ とか独特の良い味出してる曲もあるんですけどね。前作がセールス的に苦戦し、「ポップとは何か?」と悩んでいたが、ブラジルのコンサートで ‘『シェルタリング・スカイ』テーマ曲’ が熱烈な反応を受けた事から教授なりにヒントを得て、最初に書かれた曲。楽曲に漂う悲壮感、情念の濃い感じはそのヒントに基づいたものでしょう。あと歌のメロディーが器楽的ですね。ここも、それこそが御自身のストロングポイントという事で狙ったのかなと思います。サウンド的にはサイバーテイストでありながらまたブラジル音楽風でもある (YouTubeコメの言葉を借りると「電脳ボサノバ」) という、なかなかのごった煮具合。サイバーテイストに関しては、当時勃興期にあったインターネットへの興味が反映されているのかなと思います (アルバムにはネットサーフィンを題材にした ‘電脳戯話’ という曲もあります)。ブラジル音楽に関しては、チェロとバックヴォーカルのJaques / Paula Morelenbau夫妻の起用にも表れてますね。夫妻はAntônio Carlos Jobimのバックを務めていたミュージシャンで、教授のブラジル音楽への興味は夫妻と組んだユニットMorelenbaum2 / SakamotoによるJobimのトリビュート盤 “CASA” などへと発展します。ギターは元DNAのArto LindsayBlonde RedheadのAmedeo Pace。DNAと言えば、教授が一番好きなロックアルバムだという “No New York” にも参加してました。作詞は売野雅勇チェッカーズの諸作や郷ひろみの ‘2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-’ が有名な作詞家ですが、教授と関わる仕事では、中谷美紀のプロデュース作品に作詞で参加しています。本作の別ver.としては、次に紹介する “1996” と “/04” にピアノトリオによるアレンジが収録されています。器楽的なメロディーが映えますね。“/04” のver.は映画『バベル』で使用されています。監督のAlejandro González Iñárrituとは後に『レヴェナント: 蘇えりし者』でも共に仕事しています (オリジナル・スコアをAlva Notoと共作)。あと別ver.では大貫妙子との共作 “UTAU” 収録のものもあります。歌う人が違うと結構印象が変わります。

 

 1996年発表のコンピレーション・アルバム “1996” の5曲目。音楽サイトRate Your Music内のTop albums of all time from Japanというランキングにおいて、現在教授・YMO関連で最高の18位にポジション。

https://rateyourmusic.com/charts/top/album/all-time/ge:-soundtracks/loc:japan/exc:live,archival/

 まぁ余りシリアスに受け止めるようなものではないかとも思いますが、興味深い事実ではあります。過去の楽曲をピアノトリオで再録した音源が中心のアルバムで唯一のオリジナル曲が ‘1919’ ですね。楽曲背景に流れるウラジーミル・レーニンのスピーチが1919年に行われたものだった事からのタイトル。発売当時CMソングでした。教授曰くドラム無しでテクノ的な表現を試みた楽曲との事で、打楽器的な側面が強調されたピアノを中心とした重厚なリズムの反復がヒプノティックな効果を呼ぶ様は確かにテクノ的であります。ただしテクノ的と言っても全体のリズム構成は変拍子ポリリズムと非常に複雑。膨らみ続けた緊張感が破裂するかのようなチェロのソロを披露するのは、前曲に引き続きJaques Morelenbaum。教授のブラジル関連作だけでなく他のアルバム、ライブツアーにも数多く参加している、'90年代以降の教授の活動を理解する上での重要関連人物です。如何にも教授好みのプレイですが、ライブテイクだともっと派手にかましてくれてるのも聴けます (音源は色々あります)。

 

 オリジナルは1998年発表の “BTTB” 収録。自身初の全曲書下ろしのピアノアルバムで、翌年に開催を控えた「LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999」への準備として位置づけられた作品。タイトルはBack To The Basicの略で、デビュー以前に立ち返り当時受けたSatieやBrahmsなどのピアノ音楽の影響を現代的に昇華した、落ち着いた色調ながらもその一方で単なるヒーリング・ミュージックには決して堕しない知的作為を感じさせるという、聴き応えのある作品になってます。そういった作品の中では楽曲 ‘aqua’ はちょっと浮いていて、元々は娘である坂本美雨のために書かれたものの余りに出来が良過ぎたため自身の曲としたという経緯の通り、教授としてはシンプルなJ-Pop的ともされる楽曲構造の曲です。なんですけど、とにかく、美し過ぎる。暴力的なまでに美しい、なんて言いたくなる楽曲は私はこの ‘aqua’ しか知らない。個人的には自分の葬式で流して欲しい楽曲です。こちらの音源は2005年発表のセルフカバー・アルバム “/05” 収録のもの。レア曲や定番曲の秀逸なリアレンジなど充実しお勧めのアルバムです。

 

 まぁこの曲を紹介しない訳にはいかんでしょう。1999年発表のシングル “ウラBTTB” の1曲目 (現在だと “BTTB 発売20周年記念盤” が入手しやすいかと思います)。インストゥルメンタルのシングルとしては初めて、週間のオリコンチャート1位を記録し、トータルセールスは150万枚以上に及ぶとされる、教授最大のヒット曲です。元々は御自身出演の三共『リゲインEB錠』のCM楽曲として30秒のみ作曲され、好評だったのを受け急遽他のパートを追加し1曲に仕上げたもの。ポップ路線などは何も考えずに5分程で作った曲で、なぜこの曲が売れたのかが未だに分からないというのが2009年発売の自伝において当時を振り返っての教授の弁。特に'80年代後半以降は先述の通りソロ活動においてポップさとは何かを模索し続けてきた経緯があるので、余計そういう思いも強かったのでしょう。という風に教授としても納得しきれていなかったオリジナルに対し、長年テイクを重ねて改善を続けた1つの成果がこちらですね。世界同時配信され後日CD化もされている “Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020” からの音源。私もこのテイクの方が押しつけがましくない感じがして好きです。

 

 2004年作 “Chasm” の1曲目。NEWS23で披露されたライブ映像ですが、NEWS23にはかつてテーマ曲を提供していた縁があり、時折出演していたようです。Hip Hop+中国伝統楽器の二胡+オルタナティブ・ロックという教授ならではの多ジャンル折衷が、サンプリングのカルチャーであるHip Hopの基本フォーマットと好相性という楽曲ですね。ラップは韓国のMC Sniper。元々は韓国語とフランス語の複数のラップを考えていたが、彼の律儀な態度に心を打たれ、韓国語のラップのみとなったという経緯。タイトルの ‘undercooled’ は皆頭に血が上っちゃってるぜ、少し頭を冷やそうぜ、といったニュアンスとの事。長年New Yorkで生活していた教授にとっても2001年の9.11アメリ同時多発テロとその後のイラク戦争は強い衝撃だったらしく、アルバム “Chasm” 全体を貫くものとして反戦のメッセージが掲げられています。ギターソロ後に教授が左手でイジイジしているのは恐らくKorgKaoss Padですね。RadioheadJonny Greenwoodが2000年以降のライブでやり始めたサウンドメイクです。小山田圭吾、山本ムーグといった若手ミュージシャンの起用にも表れている最先端の音楽表現に対する高い関心は、終生続きました。正直発売当時は余りピンと来なかったんですけど、今改めて聴くと非常に良く出来ていると認識を新たにした楽曲です。

 

 2017年発表 “async” の1曲目。今年出た “12” はスケッチ集のようなアルバムですので、綿密に練りこまれたオリジナルアルバムとしてはこれが最後になります (“12” もあれはあれで良いものですけど)。小山田圭吾と並んで21世紀の教授・YMOの重要な共演ギタリストであるChristian Fennezが参加。アルバムのコンセプトとして、「asynchronization=非同期的なサウンド」、そしてセルフ・ライナーノーツで明かされた「架空のタルコフスキー映画のサウンドトラック」の2つが掲げられています。このコンセプトがずっぱまりなんですよね。アルバム制作開始にあたりまずシンセで弾き直してみたというBachの影響を感じさせるピアノやキーボードの旋律、21世紀の教授の音楽活動において大きな関心事項であったフィールド・レコーディングなど12平均律から逸脱した響き、スポークン・ワーズなどが非同期に配列され、それがタルコフスキー的な少し靄のかかった世界の中で溶け合うという、サウンドの美しさがとにかく秀逸。教授の音に関するフェティシズムを感じさせるという意味では活動歴上最もかもしれない。セールス的にどうだったかはよく知りませんが、「今までで一番わがままなアルバムかもしれません」「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」とまで語った作品が各所で高い評価を受けた事は、音楽家として幸せな状況にあったと言えるんでないかな。病魔に侵されながらも、創作活動に対する意欲が決して衰えてなかった事を示す、晩年の傑作。

 

 1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』のメインテーマ。教授にとって初めての映画音楽の仕事でしたが、元々は俳優として出演のオファーがあり、それに対し「音楽もやらせてくれるなら受ける」と条件を付けたところ、監督の大島渚が即断したとの事。この仕事で日本人として初めて英国アカデミー賞 作曲賞を受賞。言わずと知れた教授の代表曲ですね。ペンタトニックを中心とした東洋的メロディー+近代西洋的和声=東洋と西洋の高次な結晶、といった評価を受ける事が多かったが、教授としては映画にあるある種の非現実感からインスパイアされた、西洋から見ても東洋から見ても「どこでもないどこか」、そして「いつでもない時間」を作曲にあたってのコンセプトとしたとの事。私も教授の説明の方がしっくり来ます。また、2011年にテレビ放送された『“スコラ” 坂本龍一 音楽の学校』(探して頂ければYouTubeでも観れます。このブログでも昔リンクを貼りました) では教授自ら本楽曲の作曲技法を解説し、教授が愛して已まなかったDebussyなど仏印象派の作曲家達から受け継いだ和音のパレットの拡張、テンションノートを巧みに用いる事により得られるある種の浮遊感やエキゾチックな響き、を曲のポイントとして挙げています。そういった和音や音自体の響きに対する繊細な感覚こそが教授を卓越した音楽家たらしめていたのかなと思います。こちらの動画は、最後かもしれないと銘打たれて昨年12月に公開されたライブ演奏動画 "Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022" からの抜粋映像。クリスマスという事でシンセサイザーのグラスハープ音を用いたオリジナルも良いですが、ピアノでの演奏もより寂寥感を感じさせまた曲の構造がより明確に感じられ、良いものですね。特にこちらのテイクは、長年の闘病生活で衰えてしまった体力を振り絞るように、一音一音嚙み締めるように鳴らされるその響きに、深く胸を抉られます。こちらの映像は映画化の準備を進めているとの事ですので、それを楽しみに待ちたいと思います。あと是非円盤も出して頂きたいですね。