【ウマ娘】『シンデレラグレイ』ジャパンカップ (2回目) 海外出走メンバーを考察する

 ※この記事に掲載するリンクは今後の『シングレ』のネタバレ情報が含まれます。漫画のこれからの展開を楽しみたい方は御注意を。

 オグリジュニア期のJCの時もやった企画ですが、メンツも揃ったみたいなので行きます。

ジャパンカップ|1989年11月26日 | 競馬データベース - netkeiba.com

 元ネタはこのレースですね。以下シングレで名前が挙がった順にモデル競走馬を考察します。

 

・シーフクロー

ホークスター - Wikipedia

 1986年産まれの米馬、父はグラスワンダーと同じくSilver Hawk。ギャップが凄いですね。GⅠ1勝で臨んだ米クラシック三冠は全て5着に終わるも (Sunday SilenceEasy Goerの同期です)、7月に西海岸に戻ってからGⅠ2勝を含む4連勝、特に10月のオークツリー招待ハンデキャップでは、当時の芝12ハロンの世界レコードとなる2分22秒8のタイムを記録。と正に絶好調な感じで来日しとります。引退後は米での後日本でも種牡馬を5シーズン経験してますが、特に目立った産駒はいなかったようです。

 

・キャリーズルーム

キャロルハウス - Wikipedia

 1985年にアイルランド産まれ、英で調教を受け、ジャパンカップ出走までの戦績だと17戦7勝、うち欧州のGⅠを3勝。4歳秋ににフェニックスチャンピオンステークス (現在のアイリッシュチャンピオンステークス) と凱旋門賞を連勝。そのタイミングで社台グループの吉田善哉氏が購入し、ジャパンカップに参戦しております。引退後はこちらも社台スタリオンステーション種牡馬になりましたが、重賞勝ち馬はエイシンサンサンの1頭のみに留まり、1997年にアイルランドに再輸出されてます。

 

・イブビンティ

イブンベイ - Wikipedia

 1984年英産まれ、父は欧州三冠馬Mill Reef。'89年のジャパンカップ出走までに17戦7勝、うち独と伊で芝2400mのGⅠを2勝。『シングレ』にある通り4連勝してのジャパンカップ参戦です。以降の話としては、翌年のジャパンカップにも参戦、日本のビッグレッドファーム種牡馬となり日本で生涯を終えています。

 

・オベイユアマスター

ペイザバトラー - Wikipedia

 1回目のジャパンカップのストーリーでもフィーチャーされてましたし、知悉されてる方も多いかと思います。一応昔の記事を貼っておきます。

kshn.hatenablog.com

 

・サティアス

アサティス - Wikipedia

 1985年に米で産まれ英で調教を受けた競走馬。近親にPersonal EnsignやWoodmanなどがいる名牝系の出身。3歳までは長期休養が多かったですが4歳になりコンスタントに走れるようになり、4戦3勝2着1回、10月には伊のGⅠジョッキークラブ大賞を勝利してのジャパンカップ参戦です。翌年には柴田政人騎手を鞍上にキングジョージ凱旋門賞に出走しています。引退後はこちらも日本で種牡馬になり、GⅠ2勝のウイングアローボンネビルレコードなどの父となっています。

 

・ラントゥザトップ

Top Sunrise(FR)|JBISサーチ(JBIS-Search)

 1985年産まれの仏国馬。通算成績13戦6勝。正直詳しい情報が見つけられなかったんですけど、'89年の秋に3100mの仏GⅠロワイヤルオーク賞を勝ってのジャパンカップ参戦のようです。他の重賞勝ち鞍も長距離メインの長距離馬だったみたいですね。今となっては絶滅危惧種のDante系という珍しい血統の持ち主。

 

・フォークイン

ホーリックス - Wikipedia

 恐らく健康ランド師匠です (JC出走の芦毛牝馬ホーリックスのみなので)。モデルは1983年産まれのニュージーランド牝馬。シングレ名の由来ですが、Horlicks→スプーンでかき混ぜて飲む麦芽飲料の商品名、fork in→鋤で~を混ぜ込む、という事で恐らくかき混ぜ繋がりでないかと思います。結構捻りましたね。 (4/13追記:今週号のヤンジャンでフォークインのスペルがFolkqueenだと分かりました。「みんなの女王」とかそんな感じの意味かな?エラズリープライドからの繋がりを感じる名前ではあります。) ホーリックスに関しては実名での登場に対する期待もあったのでやや残念ではあります。今後に期待しましょう。ジャパンカップ参戦までの戦績としては本国のGⅠを2勝と豪のGⅠを1勝。中距離を得意としていたようです。翌年も本国のGⅠを2勝、繁殖牝馬としては3頭の重賞勝ち馬の母となっており、2010年にニュージーランド競馬名誉の殿堂入りを果たしています。